2005年3月某日

コウタロウです。
とりあえず、ブログに切り替えました。
四月の後半まで、このブログ以外あんまり更新できないけど、
ま、読んでくれると幸いです。


http://blog.cafedelkotaro.com


上海のページとか、壊れちゃっててごめんなさい。
そのうち直してフラッシュとかにしようと思ってます。

でわー、よろしく。

 

 

 

2005年3月6日(日) 午後7時00分

コウタロウです。
長い間ご無沙汰して申し訳ありません。

この出会いと別れの季節にやっと沈黙を破ろうと思います。
っていうか、沈黙してたつもりもなくて、生活の基盤が変わり、心境がほんのちょっと変わり、仕事が忙しくてちょっとだけ肌が荒れ・・・・、うん、この無更新期間の間、前に進もうと、ちょっとだけ前向きに努力してた感じです。
忙しくて、更新出来んかったんです。

うん、でも、だからって、成長した俺を見てくれ、とかそんなことを言うつもりもなく、もうすぐたっかいデジカメも買うし、そろそろ明るい写真も撮れる季節になるし、更新したいな、ってやっと思い始めただけです。

うん、一軒家借りての共同生活は順調です。
毎日毎日、仕事がかなり忙しいんだけど、ま、家に人が常にいる状態だし、いろいろネガティブなこともあったりだけど、かなり楽しい生活しております。

仕事は、最近毎日忙しいです。
将来にラップさせたりしてマイナス思考でウダウダと考えるのも時間がもったいないので、心と体のトレーニングなんだな、と出来る限り前向きに、工夫して仕事には取り組んでます。
ま、仕事の具体的内容をここで書くわけにはいかないんだけど、そのうち面白いネタでも提供しようと思ってます。


そんな感じで、これからはもうちょっと更新して行こうと思うので、今後ともヨロシク。
でわー。

 

 

2005年1月28日(金) 午前1時00分

いやー、新居でネット復活です。
きょうはそれだけです。
更新近日、乞うご期待。

ハウスメイトがノロウイルスです。
ざまーみさらせ。

でわー。

 

 

2004年11月29日(月) 午後11時00分

「夕陽の見えない部屋」

いやー、相変わらず、いいねー、月9。
先週は、祭日前ということで、会社の先輩にいかがわしい店に連れ回されてたから見れなかったんだけど、一回見逃したところで、何一つ内容が分からなくならないのが素敵。
めくるめく、幸せと不幸せの攻防戦。
全て肉眼で見える右ストレート。
単純明快で最高です。

+++++++++

先日、自殺をしようとしたが踏み切れず、富士山麓の青木ヶ原樹海で何日かを過ごし、どうしようも無くなった奴が、刑務所での3度のメシと寝泊りのために女性を殺害する
、という何とも愚かしくて、消化し切れない事件が起きた。
私は、メシを食いながら7時のニュースでその事件を耳にしたのだが、本当にメシが不味くなった。
もちろん、女性の死を受け止めたくない、とかそういうつもりはないが、そんなニュースを7時の食事時のニュースで流さないで欲しい、と切に思った。
そんなにも、女性が哀れで、犯人が呆れてしまうほど幼稚な事件を、世の中に流して、テレビ見てるほとんどの平均的で、殺人なんてことからは遠いところにいる人々が、どうやって食事と共に咀嚼すればいいのだろうか。
ほとんどの人が、そんなものを一個一個咀嚼しようなんて、もやは思わなくなっていると私は思う。
四六時中テレビから殺人のニュースを聞いているのだから、当然だろう。
あまり深く考えないようにして、ボソッと。
「ああ、可愛そうに・・・」。

伝えるな、というのではない。
でも何か、ちょっと考慮が足りないのではないかと思う。
うーん、何なんだろ・・・。

+++++++++

がらっと変わって、みなさん、今がチャンスです、貯蓄をドルに。
100円を切ったら、即決でしょう。
混んでるでしょうが、銀行窓口で、すぐにやってくれるでしょう。
一歩を踏み出したアナタが、得をするのです。

+++++++++

ま、そんなことはいいとして、前の書き込みの物件はフラれました。
そんで結局、初台の夕陽の見えない一戸建ての物件にしました。
前の物件よりもはるかにいい、225000円の物件です。
うーん、みなさん、是非是非遊びにきてくれ。
引越し貧乏でしばらく引きこもりなんで。


前々から言ってる南米旅行のページ、今さら、って感じですが、頑張って作ってるので、出来たら見てください。
うーん、そんな感じです。ご無沙汰してすんませんでした。
では。

 

 

2004年11月21日(日) 午後10時00分

「夕陽の見える部屋」

人生のある段階の小さな小さなマイルストーンにしてた夢の一つが叶いそうです。
ここ一ヶ月ちょっと、野郎4人でのルームシェアを目論んで物件探したり
してたんですが、先日、初台の物件を仮で押さえて来ました。
野郎4人暮らしなんですが、ちゃんと個室持てます。
11階、ベランダあり、広いリビングダイニングあり。
そんでもって、これが夢だったんだけど、私の部屋が西側に面してるんです。
11階なので、見晴らしもいいわけで、つまり、夕陽眺め放題なんです。
「いつかは夕陽の見える部屋に住みたい」
っつー、爽やか100%のささやかな夢がもう叶ってしまう。
部屋見に行って、そのことだけで、即決でした。
残りのメンバーも、いろんなニーズが合致し、即決。


でもこれで、実家が少し淋しくなってしまうのが、ちょっと心残り。
つい最近まで5人で生活してた家が、夫婦2人の家になってしまう。
父親が、ちょっと二人で住むには広いって、ちょっと淋しそうだった。
売るとか売らんとか、そんなんになったら悲しいなー。
かれこれ20年だから、人生の8割はこの家だし。物心ついてからほぼ全部。
うーん、生きるって淋しい・・・。

って、ま、どうでもいい話はいいとして、とにかく、すぐ近くだけど、実家を出ます。
12月中旬です。
では。

 

 

2004年11月9日(火) 午前0時30分

「お悔やみ」

ご無沙汰です。コウタロウです。

気付いたら25歳。
今年も、なんだかんだでみんな色々と祝ってくれてありがとう。

誕生日は行った店のオヤジに、96度のスピリタスというスーパーフリーなリキュールを振る舞っていただき、例によって完全に呑まれてました。
そのとき一緒にいた女に腕ひしぎを食らわせ、外で商店のシャッターに体当たりし、店で寝てる間に顔に白のマジックで落書きされてたのを知らず、道端に通りかかったヤンママをナンパして失敗し、当然そんな顔だからタクシーが停まるわけがないのに逆上して、101回目のプロポーズ張りに
「ボクは死にましぇーん」
とタクシーを止めて、運ちゃんに軽く切れられつつ家に向かう、という素晴らしい一日でした。

とにかく、みんなありがとう。
ぼくぁー幸せです。



そう、ご無沙汰してるうちに、世の中がかなり動いた。
ちょっと気になることが多かったので、いくつか。

1.
イラクで拉致されていた日本人、香田君が無惨にも殺害された。

1年あまり前の中東旅行の時、香田君がイラクに向けて出発したあのヨルダンはアンマンのクリフホテルから、私と友人のMはイラクとは反対側にあるイスラエルに向けて出発をしていた。イラク戦争が終結した2003年の4月から数ヶ月後の8月だった。
当時のイラクは、町中での強盗などがあとをたたない状況はあったが、現在よりも治安が幾分安定したいることもあり、アンマンからはタクシーが出ていて、多くの日本人の旅行者も足を伸ばしていて、バグダッドに行って帰った人にも実際に会った。

世界中を旅行している人ならご存知だと思うのだが、海外の安宿のほとんどには、情報ノートというものが置いてある。
日本人を中心にジャーナリストやNGO関係者なども旅の中継地点とする、そのクリフホテルの情報ノートには、イラク、イスラエル、その他の中東地域の入出国情報、各地の犯罪被害情報など、多種多様な旅行の情報が記されていた。
死海に行き、アンマンの町を散歩し、アンマンからの出発も近くなったある静かな夜、私はクリフホテルで情報ノートを開き、イラクでの強盗の被害や、イスラエルのパスポートコントロールの情報などを読んでいるうち、イラクで活動している女性の書き込みを見つけた。 内容を記録して来たわけではないので、文章に違いはあるかも知れないが、大まかに以下のような内容だった。
「イラクはまだまだ治安が安定しない状態が続いているので、旅行者が来てイラクの現状を見て帰れる時期ではないと思います。他の軍隊やボランティアを多数派遣する中で、日本人の旅行者が来て、そのような人たちの目に良い感情を与えるとも思いませんし、活動をしに行っている日本人を含め、何かあった時、迷惑が掛かる可能性もあります。」
そして、今の時期にイラクに行かないで欲しい、という文章の末尾に、Club WeeというサイトのURLが書かれていた。翌年の4月に世間を騒がせ、メディアの批判の嵐に晒され、帰国した高遠菜央子さんの書き込みだった。
宿では、「明確な目的」という言葉を何度か耳にした。イラク行きの是非、というのは一つの旅行者の中でのトピックだった。NGOやNPOなどが行くのならまだしも、旅行者が行くことに関しては、否定的、という旅行者が多かった。私も、イラク行きとイスラエル行きの間には大きく線を引いて、イスラエルに旅立った。
だが、エルサレム、ベツレヘムで数日を過ごし、イスラエルを出発したとき、私の心の中には小さな変化があった。そういうところで、見聞きし、自分の知らないことを知って、なにやらぐるぐると世界のこととか、平和のこととか、そんなものを考えている自分の状態が、嬉しかった。たとえイラクに行っても、無事に帰れない可能性なんて、低いのではないか。そして、もしイラクに行けて、何かを見てくることが出来るなら、是非行ってみたい。ヨルダンを挟んでのイラクの距離をを考えると、そう思うほどだった。
実際には、時間的なものもあったし、そんな度胸もない。親孝行もしたいし、人生まだ続けたい。そして何より、リスクにはしっかりとした基準を置いて旅行をしてきたつもりであったので、行く可能性はゼロであったことだろう。だが、地理的な近さがリアリティーを作り上げるのだろうか、心の片隅にそう思わせる何かが、あの土地にあったのは確かだった。
だから、そういう風に思って、単純にイラクに突撃してしまう旅行者に対して否定的な気持ちを持っていた反面、どこかその気持ちが分かってしまう私も、そこにいた。


4月の人質事件に続き、今回の事件でもテレビにたびたび顔を出すことになったアンマンのクリフホテルの従業員のサーマル君は、とても気弱な雰囲気を持ち、日本人に対して何を言っても合掌と共に「ドウイタシマシテ」と繰り返す、「中東一親切な従業員」と呼ばれ、とにかく客に尽くす男だ。客が真剣な顔で、「イラクに行きたい」と言えば、止めることはしない人だろう。
そんなサーマル君が止めるのを振り切り、幸田君の「自分探し」の旅路はイラクへと続いていった。アンマンで取得できる筈もないビザは諦め、100ドルという非常識な所持金で、香田君は国境を越えた。そして、バグダッドで買い物をしていた目撃情報を最後に、彼は拉致をされ、その情報は瞬く間に日本の政府、メディアに届いた。彼は、日本政府に向けて、「すいません」と言った後、日本に帰りたいと訴えた。
2日足らずの間、何があったかはもう明かされることはないだろう。だが、恐怖に慄いた彼は、ある時、カメラのある部屋で、星条旗の上に座らされていた。3人の覆面した悪魔が、1分ほど声明を読み上げたあと、彼は乱暴に横倒しにされ、みるみるうちに血にまみれ、二十数年の人生を終えた。
書き遅れたが、私はカルト信者でも鬼畜でもないが、殺害映像を見た。

「死んで当然」、「自業自得」とか、「同情の余地がない」だとか、私はそんな言葉を何回か耳にした。私も、彼が自分で死に近づいてしまったことが残念だと思った。しかし、私は彼が漠然と抱いていたものが、なんとなく分かる気もした。だから今回の事件は、ずっと起きてしまうだろうと思っていた類の事件だったが、本当にショックの大きいものだった。
いくら「馬鹿」で、リスクの計算が出来なかった、4月の人質事件から学べなかったからと言って、それが彼のあまりに残酷すぎる顛末とつりあうのだろうか。それが「彼が死ぬ理由」と言っていいのだろうか。私は、彼の家族が、憔悴し、恐縮し切ったコメントをマスコミに発表しているのを見て、暗い気持ちになった。彼がしたのは、愚かしいことだったとしても、決して悪事ではない。
憎むべきは、殺人者だと思う。そして、間接的に、米軍を支援した日本の動きも、この事件の原因だったと言えると思う。

「テロとの戦争」は新たな憎しみを生み出し、新たなテロを生み、「テロとの戦争」自体が新たに生み出した憎しみと、新たな「テロとの戦争」をしている。
現在起きてしまっている「テロ」という側面だけを見れば、卑劣そのものであり、決して屈することが許されない、という理屈になるだろうが、そのテロを生み出しているのが、「テロとの戦争」だとすればどうだろうか。どちらがテロであるか、ということ自体分からなくなってくる筈だ。そのことを考えずに戦いを続ければ、テロが永劫なくならないことなど容易に想像できる。

では、どうすれば、いいのだろうか。

世界、国家、個々人、すべてのレベルで、人類はこの難題をずっと抱えていかなければならないだろうと思う。

2.
海の向こうで、殺人猿が、引き続きヒエラルキーの頂点に立った。
あんまり大きいことを言うと私の無知ぶりがバレので言わないが、ただただ率直に、もうあのサルがアホ面をカメラにさらけ出して、真剣な顔で「正義」の文字を口にするのを見たくない。
ケリーがいいとも思わないが、アメリカ人には、ホトホトうんざりした。
ま、USAの51番目の州知事である小泉とかいう人も歓迎しているみたいだし、諦めよう。

3.
奇しくも時を同じくして、オランウータン面というかウーパールーパー面のパレスチナ解放戦線の大物戦士の命が、消えようとしている。
イスラエルとヒズボラだとか、それをバックアップしているシリアだとかの最近の対立度合いを見ていると、時期的にとってもきな臭い感じ。

イラクでも、ムジャヒディンだの何だのが、毎日のように20人だの30人だのを殺してるし、ビンラディンはパキスタンかアフガニスタンあたりに健在みたいだし、キリスト教とイスラム教の対立の図式がどんどん顕在化しているように見える。

まだまだ、平和は遠いみたいです。悲しい・・・。



つらつらつらつらと全く収拾の付かない、稚拙な文章を並べてすんませんでした。文章で、自分の思うことを書くのって難しいですね。
香田君の文は、いろいろ思うことがあったので自己満足のつもりで書いたんだけど、結局いろいろ考え過ぎてどんどん混乱してあんまりまとまらなくて、自己すらも満足できませんでした。

とにかく、香田証生君の冥福を心よりお祈り申し上げ、本日の書き込みを締めさせていただきたいと思います。おやすみなさい。

 

 

2004年10月25日(月) 午後11時00分

「金曜の真相」

ケイタイは結局見つからなかった。
しかし、警察に電話で事情を聴き、会社の先輩に事情を聴き、だいぶクリアに。
もう、ケイタイも機種変の手続きしたし。

どうでもいいだろうが、22日(金)の判明事実をここに記す。(暇な人向け)

19:00 飲み始める
22:00 早くも3時間でベロ酔い(後輩に遺言メール・友人に酔っ払い電話)
24:30 22時以降の会話の記憶なし・一次会会場を出る
01:00 カラオケに。ここで友人の中島君に電話(記憶なし)
01:30 「2億4千万の瞳」熱唱(この曲以外記憶なし)
02:30 カラオケを出る(記憶なし)
03:00 先輩に連れられキャバクラ(キャバクラに行ったこと以外記憶なし)
03:30 女(記憶なし)口説きに失敗し30分で見切りをつけ、店を出る(先輩談)
04:00 タクシーで神保町の先輩宅に到着(記憶なし)
04:30 先輩宅近くで行き倒れの男を警察が発見、パトカーで神田署に(記憶なし)
05:30 神田署1Fロビーにて覚醒・「くさいめし食わせろー」・追い出される
06:00 先輩宅にて永眠 チーン♪

13:00 記憶と携帯がないので凹む くさいめし食わなくて本当に良かったと安堵

と、大体つながった。
携帯は、行き倒れになっていた時に失くしたっぽい。。
きょう、警察に電話したら、私の苗字も会社名も知られていた。
そして、「別に悪いことはしてなかったし、酒に飲まれちゃダメだよ。」
と、優しい注意を受けた。
本当に、タイーホじゃなくて良かった・・・。
つくづく思った。

深酒厳禁。人生1000回目の誓い。

マジで、どうでも良くってすんません。
おやすみっす。

 

 

2004年10月25日(月) 午後10時30分

「ラストクリスマス 第3話」

最高のエンタテインメントを得ました。その名もゲック、月9です。
本日の書き込みは、月9を「社会人の入り口」とおっしゃる師匠・TOK2//さんに捧ぐ。

高校3年の時の「スウィートシーズン」(椎名詰平・松島菜々子の横浜ラブストーリー)以来のドラマなんですが、これが面白いのなんのって。
ストーリーは簡単、かつ、極ありがち、恋の花火がドッカンドッカンあがり、余韻なんてあったもんじゃない。
これが、分かりやすくて、曇りなくハッピーで、なんともキモチイイのです。

今回の織田裕二が矢田亜希子に紙芝居するシーンの織田裕二の表情とか、マジで最高。
ニセギリジョーも髪がツーブロックなのにかっこいい。MEGUMIのおっパイまじですごい。
簡単明瞭ハッピーエンタテインメントです。
こんなのを、私の生活は渇望してました。

こんなのを見ていたら、恋愛体質の人間になれそうな気がします。
いやー、興奮で今日は眠れませんわ。

まだ、所々で体がカユくなりますが、このカユみが引いたころ、私は人肌脱げた、日本の歯車になれるでしょう。
目指せ、ポップ路線、脱アングラ。
いやー、セカチューも見よっと。
あー、来週たのしみ。

馬鹿にしてるんじゃないっすよ、持続する気しないけど、マジで感激なんです。
でわ。

 

 

2004年10月24日(日) 午後10時30分

「くさいメシ」

またケイタイを失くした。
会社の飲みで金曜のみまくって、土曜の早朝に目が覚めたら、なぜか神田警察署。
すんなり帰してくれたので、どうやら悪いことをしたとかそういうことではなかったが、
警察だと分かって、酒も残っていたので、
「くさいメシ食わせろ」
と騒ぐと、軽い説教を喰らい、「早く帰れ」と追い出された。
ケイタイがないことに警察で気付いたので、紛失届けを出そうとしたが、
酔っ払ってて、字がまともに書けなかったので、途中で断念。
肝心な、なんで警察にいたのか、という大切なことを聞き忘れてしまったので、
記憶を飛ばしていた時間に何をしていたのか、というのは闇の中。
かくして、スーツを着た社会不適合は、今年2回目の大きな自己嫌悪期に突入。

昨日は、先輩のライブを手伝ったりと忙しかったが、今日になって、
テンション急降下の波が来て、自分の部屋で病人のような生活をした。
あー、こんな人間、そろそろ卒業しないとな・・・。と。
この前、日テレの社員が、早朝に警察官を殴って逮捕され、処分を受けたけど、
そんなの、笑ってられないぐらいひどいな・・・。と。

新潟で地震が起きて、家がぺちゃんこになって、人が何人も死んだ。
今年は、台風で沢山の死者が出たが、これも、家にいて、死んだりするんだから、本当に、神様は血も涙もない。
世田谷の一家を殺しといて、平然と証拠を沢山残し去ったにも関わらず、のうのうとまだこの世に生きてて、方や、田舎で静かに暮らしてた人天災でが死んでしまう。
一体、何なんでしょ。

そんなことを考えて、曇り空の淡い光が差し込む部屋で、ずっと天井を見てたら、眠気が来て、気が付いたら、太陽が沈んで、今日が終わりに近づいてる。
明日から会社で、気付いたら来週末が、存外早く来てんだろう。

そのうち、25になり、存外早く26になってたり。
それまでに何をしてれば、OKなんでしょうか。
昔、テレビに女子高生が出てて、オバサンになったら自殺する、って「刹那主義」って言葉で片付けるのも馬鹿馬鹿しいようなことを言ってて、それを見て不快になったのを覚えてるけど、先をしっかり見るのって、思ってたより難しい、って思ってる自分がここにいる。

うーん、暗くなったので、もう止めます。ごめんなさい。
おやすみなさい。

 

 

2004年10月22日(金) 午前1時30分

「コウタロウのラマダン日記 48時間目で終了」

ラマダンを終えた。
結局48時間で野菜ジュース350mlと水を数リットルで過ごし、仕事を変わらずにこなし、最後にバスケをした。
気付いたことが幾つかある。

まず、食事を摂らないと、気力が減退していくこと。
やはり、人間のアグレッシブさは、肉体に支えられている部分が大きい。
体がエネルギーをセーブしようとする動きは、どうしても止めることが出来ず、体が乗らない以上、気持ちも乗ってこない。
精神的なダメージは顕著ではなかったものの、やはりどこかに、弱弱しさのようなものが生まれてしまっていたと思う。

そして二つ目が、筋肉疲労。
栄養と肉体のバランスに通じているわけではないので詳しいことが分からないが、ビタミンの欠乏であろうか、筋肉疲労が普段に比べて大きかったように思う。
朝、足がつって目が覚めたのが、いい証拠だろう。
このことが響いて、野菜ジュースに手を出してしまった。

そして三つ目、断食をする事で、「飢える」という感覚を少しは味わえるのだろうかと思っていたのだが、それは間違いだったこと。
多くの場合、「飢える」ということの本当の辛さは、肉体的なものよりも、精神的なものだろうと思う。
断食中に私は、思ったより辛くないと感じた理由をしばし考えた結果、こう思った。
私には、「あと一日、あと半日、あと数時間すれば、食べれる」という認識があるから、精神的な辛さもさほど感じず、心に余裕を持って断食を続けているのだと思った。
食べ物を見て、たまらなく食べたくなった時があったが、「後になれば食べることが出来る」という安心感が、心に与えるダメージを変えた。
そしてその気持ちが、最後に私にバスケを許した。
つまり、これは、飢えで命をやり取りする人たちのものとは本質的に違う。
命のやり取りの上での「飢え」は、精神的な要素を加えなくては味わえない。
この飽食国家・日本では味わうことの出来ないものであることがよく分かった。
これは大切なことだと思った。

終わったあと、煮物を食べ、酒を飲み、次の日から、何一つ変わらない食生活へと復帰した。
断食前より、食べ物が美味しくなった。
また断食する必要は全く感じないが、しないよりはしてよかったと今は思う。

アホだと思いつつ読んでくれた方、ありがとう。


<写真について>
質問あったので。
下の写真は、ボリビアのウユニ塩湖。
南米・ボリビアの標高4000メートルに位置する、むかし海だった土地が隆起して出来た世界の果て。四国の半分ほどもある一面の銀世界をシープで走ると、自分がどこにいるのか分からなくなる。平らなため、雨季にはうっすらと水が張り、空の青を映し、空中に浮いてるような錯覚を起こす、世界で一番美しい場所のひとつ。
あまりの美しさに、ここであった日本人と、将来子供が生まれたなら、「ウユニ」という名前をつけよう、と「ウユニ会」を結成。
子供に、この珍しい名前を聞かれたら、
「お父さん(お母さん)が、今まで行った中で一番美しいところだよ」
と答える。
十数年後 、それを心に留めた子供が、20ぐらいになり、その地へ、自分の名前の土地に旅立つ。
そして、この世のものだと思えないような光景を目の当たりにし、立ち尽くす。
・・・。
と、こんな恥ずかしいストーリーを作り、盛り上がらせてしまうぐらい、美しいところだった。
ここへ行く飛行機はなく、悪路が続いたことも、感激の原因だったのではないだろうか。

そして、 上の写真は、ブラジルの首都・ブラジリアにある、ドン・ボスコという教会。
70年代に行われたブラジルの都市計画は、美しく前衛的な建築を生み出したが、首都機能の移転のみに留まり、人口が内陸部のブラジリアにシフトすることはなかった。
幾つかの奇抜で美しい建築群と、その人間の生活臭のなさが、ブラジリアという街の空気を作り上げていた。
フィルム感度が高すぎて、ノイズが多い・・・。

ということで、お休みなさい。

 

 

2004年10月18日(月) 午後11時30分

「コウタロウのラマダン日記 28時間目」

イスラム暦でもラマダン中なので、私も金がない、腹が出たついでに勝手に断食始めました。
体をリセットするためと、平凡な生活の中で今まで体験したことない極限を味わうためです。
日曜の夕方7時に、近所の山崎夫妻の家でカレーとチャパティを食べた後、今の今まで水のみ。
やってみたかったからやってみたものの、やはりややエネルギー不足が来てます。
タバコもやめてみたんだけど、やたら吸いたいし、そこそこに苦しいです。

断食(サウムという)は、言わずと知れたイスラム教徒の5行のうちの一つなんですが、今では、イスラム社会において、禁欲することで自らを清め、それを大きな社会的凝縮力と共に、ウンマ(イスラム共同体)の団結に繋げていこうという位置づけで行われています。
つまり、そのような辛いことを大きな共同体事業として行うことによって、同苦による民族的な一体感を生もうということで、それがしっかりと断食を行う人々の動機付けになり、これだけ大きな慣習化に繋がっているわけです。
ちなみに、ご存知の人も多いと思いますが、ムスリムの断食は、日中だけ行われ、その間、多くの人がタバコも吸わなければ、性的接触も行いません。
しかし、夜には、食事を摂ります。

説明はこの辺でいいとして、私の断食は、もちろん日が沈んでも終わりません。
同苦による誰かとの一体感もなければ、だれも同情してくれません。
断食が原因で会社で倒れれば、むしろ怒りが向けられます。当然です。
つまりイスラムの断食とも違うし、社会的理解もない。
親もやや呆れてます。

だから私は静かに断食を続けています。
いま流行りの「オレ流」です。

会社では、昼休みを寝て過ごしました。
テレビでタレントが牡蠣を美味しそうに口に入れるのを見つつ、水を一杯。
実家ですので冷蔵庫には、美味しそうなものが数知れず。
そんな中、私を仕事をきっちりとこなし、家で筋トレ、散髪と、いつもと変わらない時間を過ごしているのです。
ストイックというには、減退してしまって欲自体があまりない感覚。
うん、好調です。

明日の夜を解禁の時、としようと思ってます。
終える直前ぐらいに幻覚とか見れれば言うことなしです。
もうこんな不毛で辛いことは、しないようにしようと思います。

おやすみなさい。

 

 

2004年10月15日(金) 午後11時00分

「書くことなし」

いやー、毎日が平凡すぎて書くことありません。
最近は、金がないので、塩なめて生きてます。

先日、電車に乗ってると、小学生ぐらいの女の子3人がシルバーシート陣取って何やら話してました。
A子(右)
「運動神経がイイって言うのは、脳が体に命令を伝えるスピードが早いってことなの。」
B子(左)
「へー、じゃあ、ちゃんと勉強しなきゃダメだね。」
A子(右)
「違うの、勉強なんてしてもだめで、もうそれは運命みたいなもので、どんなに努力してもどうにもならないの。」
C子(中)
「えー、そんなのひどい。」
B子(左)
「じゃあ逆に、運動すると頭よくなるのかな?」
A子(右)
「うーん、ま、ちょっとだけ計算とか早くなると思うけど、早くなっても、正解率は変わらないよ。」
C子(中)
「えー、じゃあ、どうやったら頭よくなるの?」

という摩訶不思議な会話が延々と・・・。
私も小学校時代はこんな思考回路だったんでしょうか・・・。
C子ちゃん、友達換えなさい、勉強しなさい。それが答えです。

ってちんたら書いてみたものの、オチも何にもなくてごめんなさい。
日曜に資格試験があるので、今週はずっと塞いでいました。
来週には給料も入るし、遊べる人、遊んでください。
ではでは。


上の写真@哲学の道・京都、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)っていう花で、9月に咲く花です。
白だとイメージ付きにくいと思いますが、ほとんどは赤で、彼岸花とも呼ばれてます。
それだったら知っている方も多いでしょう。
思い出もあって、 この世で一番好きな花なんですが、今年は初めて忘れてしまい、
ちょっと遅めに咲く白の品種しか見ることが出来ませんでした。
ま、白でも何でも見れてよかった。忘れてしまった俺の馬鹿・・・。

 

 

2004年10月7日(木) 午後11時30分

「小不幸期突入」

今宵はアンニュイな感じで。

夏ぐらいから太ったこともあり、ずっとスーツ一枚の戦いを続けて来たが、最近少し痩せ、ついに卒業時に買った8万のポールスミスがギリギリ着れるようになった。
さらに、ポールスミスが着れるようになる少し前、ボロボロのスーツ一枚に耐えかね、丸井でローンでなかなかグッドなスーツを買った。
これで立て続けに、キメキメのスーツ二枚がらいなっぷに入ったことになる。
今後は、しっかり戦えそうだ。

そんなノリノリ気分の中、きょう新調したスーツを来て電車に乗ってラッシュに揺られていると、いきなり電車が揺れ、私の背中に誰かの頭が当たった「コツ」という感覚があった。
「俺のおニューのスーツに何さらしとんねんボケ!!」
と後ろを振り向くと、最悪の部類に属する顔が、目に飛び込んできた。
「ちょっちょっ、ちょえーー、厚化粧・・・、ギャグのような・・・。」
油っこいオヤジの頭の方が、このベッタリ女よりはまだイイ・・・。
その場でスーツを見るわけに行かないし、っていうか混んでて見れないし、私は電車を降りて少ししてからジャケットを脱いでチェックした。

・・・。
黒い壁に豪腕投手の速球が当たったような、ファンデーションの跡がベッタリ。
手でこすっても取れない・・・。
会社について、濡れトイレットペーパーで拭くと、もっと汚くなってしまった。

なんとも言えない、不幸な気持ち。
金もないし、ローンも残ってるのに・・・。
しかも、記念すべき第一日目に・・・。
くっそー、顔覚えてないけど呪ってやるー・・・。
呪ってやるー・・・。



ということで、最近なんだか非常に小幅なんですが幸が薄い気がします。
今日も、オータムジャンボ宝くじ買いに行ったら売り切れてるし。
気分も少ーし憂鬱です。

次の次の日曜は資格の試験です。
落ちたら、会社で疎外感を味わうことでしょう。
がんばります。

写真は大阪城です。クソ写真です。特に意味ありません。
冒頭でアンニュイって書いたけど、アンニュイな感じではなかったな・・・。
ま、いいや。

て、ブツブツ言うとります、お時間です、さようなら。

 

 

2004年10月3日(日) 午後9時00分

「おめでとうイチロー」

先週の月曜、久々の会社でどうも嫌な臭いが鼻をつくと思ったので、机の周りを調査すると、連休前に飲み残したミロが腐っていました。もしかして、蓄膿症になったのではないかと数時間心配したので、本当に安堵でした。
って、どーでもイイっすよね、こんばんわ、コウタロウです。

イチロー君やってくれましたね。
先日の新記録達成に引き続き、今日も一本のヒットを重ね、残る試合数は1。
うーん、何本打つんでしょうか。
個人的には5安打とかが嬉しいけど、来年の更新が難しくなるし、とか考えると0本とかでもいいっすよね。
すごかった今シーズンのしめとして気持ちよくプレーして頂きたいと思います。

そんな感じで、特に書くことありません。
おやすみなさい。

写真は、季節外れの熱海の海の写真です。

 

 

2004年9月26日(日) 午後11時00分

「充電終了」

9連休がもうすぐ終わる。
何日かうだうだして、大学のサークルの友達と遊んで、
関西に行き、旅行で会った友達と遊んで、泊めてもらって、
高野山に行って、天王寺で串かつ食って、一人になってドヤ街に泊まって、
むかし旅行でお世話になったタイ人の女の子と遊んで、
地元の友達と熱海に行ってフィニッシュ。
熱海では、こんな時期にパンイチで海水浴。
ありがとう、相手してくれたみんな。
遊びまくって、今は腑抜けになりそうだけど、
明日から社会復帰を余儀なくされます。

思えばもうすぐ社会人になって半年。
ほとんどの時間を斜に構えてすごしてるような気がするけど、
少しは前に進めているような気もする。
こんな時期に適切な言葉じゃないんだけど、
資格試験も目前だし、「腹くくって」頑張るべきだと思うので、頑張ろうと思う。

写真は、高野山です。
さすが四国八十八ヶ所の最終地点。
なんとも言い難い、杉とコケと石と水と祈りの空気と、
稚拙な言葉を並べるのが嫌になるようにスピリチュアルな場所でした。

そんな感じで。ではでは。 おやすみなさい。

 

 

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